東京地方裁判所八王子支部 昭和34年(ワ)353号 判決 1961年7月20日
反訴原告 加藤貢
反訴被告 加藤晶子(いずれも仮名)
主文
反訴原告の請求を棄却する。
訴訟費用は反訴原告の負担とする。
事実
第一、求める裁判
反訴原告代理人は、「反訴被告は反訴原告に対し、金六〇万円を支払い、かつ、東京都において発行する朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、日本経済新聞に左の謝罪広告を掲栽すべし。
『私のわが儘から昭和三十二年十月二十四日貴男に無断家出をし、その上離婚訴訟を提起し、あるいは人権擁護の無実の訴をなし、昭和三十三年四月二十七日荷物引取のとき、〇〇の自宅において他人の面前において、貴男が結婚詐欺だと高声に叫び、名誉をき損したことを深く謝罪します。
広告者 加藤晶子
加藤貢様』
訴訟費用は反訴被告の負担とする。」との判決及び金銭支払の部分につき仮執行の宣言を求め、反訴被告代理人は、主文同旨の判決を求めた。
第二、事実上の陳述
請求の原因
反訴被告(以下単に被告という。)は、昭和三二年三月一六日反訴原告(以下単に原告という。)と婚姻の式をあげ、同月三〇日正式に届出を了したが、じ来同棲中夫である原告及びその家族と平素ことごとに家事につき争論し、家庭の平和を破かいする所業に出で、その性格女らしからず、主婦として夫たる原告の忠言をいれず、遂に同年一〇月二四日原告の不在中その承認を得ず、わがままから勝手に家出して実家に帰り、原告の再三にわたる帰宅の要請にも応ぜず、また強引に家人をつれて自己の所持品を持ち出し、原告に対し離婚訴訟(当庁昭和三三年(タ)第一六号事件)を提起し、その訴訟において離婚原因として別紙「離婚原因」のとおり主張して事実無根の主張をなし、原告に非難攻撃を加え、以て一連の不法行為によつて原告の名誉をき損した。原告は被告の所為により甚だしい精神的苦痛を蒙つたので、被告に対し慰藉料六〇万円の支払を求め、かつ、名誉回復のため請求の趣旨記載の如き謝罪広告をなすべきことを求めるため、本訴に及ぶ。
答弁
原告と被告が原告主張の如く挙式、届出を了した夫婦で同棲していたこと、昭和三二年一〇月二四日被告が無断で実家に帰つたこと、被告が原告から自分の所持品を引き取つたこと、被告が原告に対しその主張の如く離婚訴訟を提起し、離婚原因としてその主張の如き事実を主張したことは認めるが、その他はすべて否認する。家庭の風波は被告からではなく原告及びその家族のかもしたものであり、被告の家出は別紙「離婚原因」記載の如く真にやむを得ざるに出たものであり、また、原告こそ不当に所持品の引渡を拒否しようとしたのであり、別紙「離婚原因」記載の事実はすべて真実である。
第三、証拠
原告代理人は、甲第一号証の一、二、第二ないし第六号証、第七号証の一、二、第八号証、第九号証の一、二、第一〇号証の一ないし五、第一一号証の一ないし六、第一二ないし第一八号証、第一九、第二〇号証の各一ないし三、第二一ないし第二三号証の各一、二、第二四、第二五号証を提出し、乙号各証の成立を認め、被告代理人は、乙第一ないし第三号証、第四号証の一、二、第五号証の一ないし三、第六ないし第八号証の各一、二を提出し、甲第一号証の一ないし第九号証の二は成立を認め利益に援用する、第一〇号証の一ないし第一一号証の六は不知、第一二ないし第一四号証は成立を認め利益に援用する、第一五ないし第一七号証は官公署作成部分の成立は認めるが他の部分は不知、第一八号証は不知、その他の甲号各証の成立は認めると述べ、なお、原告代理人は、甲第一〇号証の一ないし五、第一一号証の一ないし六はいずれも原告の父の日記であると説明し、双方代理人は甲第二三号証の二の記載中乙号証と記載してあるのは本件の同一番号の甲号証であることに争はない、と述べた。
理由
原告は、被告は原告の妻であるところ、婚姻と相いれない行為をなし、右不法行為によつて原告の名誉をき損したから、被告に対し、不法行為による損害賠償及び名誉回復の処分を求めるというのであり、そして離婚の請求はしないのである。しかしかような請求権は離婚を前提として始めて認めらるべき権利であつて、(訴訟上両者を同時に求めることはもとより妨げない。)、婚姻を維持しつつ同時に存立し得べきものではないと解する。たとえば同居請求権のように、当面直接には対立するものであつても、窮極においては婚姻の実現を目的とする権利が婚姻と矛盾しないのみかこれにかなうものとして、婚姻と両立し、夫婦の身分を維持しつつその存立が是認されるのはもとよりである。しかし一方において夫婦の身分を維持しつつ(それは婚姻の実現、完成に向つて不断に協力し努力する義務を伴うことである。)、他方においておよそ夫婦の身分とは別の、婚姻の完成、実現という一つの共通の目的に向けられたのではなく、反対に当面はもとより窮極において一方を他方に対立させて保護するだけを目的、使命とする原告主張の如き権利を認めることは婚姻と矛盾する。民法第七五四条は、夫婦間において契約により広く一般に権利義務の関係が生ずることを認めているが、契約に基くこの場合は、双方の意思が合致したのであるから、いちおうそれをそのまま尊重することこそよく婚姻に適するとしたのによるものと解すべく、そして同条は、夫婦の一方が右の拘束から脱れようと欲するときは、何時でもこれを取り消し得ることにして(訴訟、強制を制限、禁止するという方法をとらないで。)、その段階においての家庭の平和、円満をはかつているのである。婚姻という廃棄し得べき関係で、それが存在する限りは無限の協力義務を伴う関係を存続せしめつつ、婚姻上の信義違反による不法行為上の請求権を併存せしめることは是認できないと考える。
右の如く原告主張の請求権は(実体的に)存しないから、原告の請求は主張自体理由なきものとして棄却を免れないが、たとえ右見解が正当でないとしても本訴請求の理由なきこと次の判断のとおりである。
原告の主張する原告と被告の婚姻、同棲の事実は当事者間に争がない。原告は被告が平素家事につき夫たる原告及びその家族と争論し、家庭の平和をみだし、夫の言に従順でなく、わがままから無断家出して実家に帰つたと主張する(そのうち被告が無断で実家に帰つた事実のみは被告の認めるところである。)。右のうち、家事につき争論し、家庭の平和をみだしたとか、夫の言に従順でないというが如きは、それだけで法律上の不法行為となることではないが、しばらくこの点をおき、右主張事実全般につき一括して判断するに、成立に争なき甲第一九号証の二、三、第二一号証の二、第二二号証の二の各証言、供述記載のうち原告の右主張にそう部分はたやすく信用できず、他にこれを認むべき資料なく、却つて、右各証言、供述記載の一部に、成立に争なき乙第四号証の二、第五号証の二、三、第六号証の二、第七号証の二の各証言、供述記載及び成立に争なき甲第八号証を綜合すれば、被告にも家庭生活上多少のわがままがあつたにしても、原告の母及び妹一枝が被告に対して皮肉、いや味の言動を重ねても被告をひごしようともしない原告の態度、その他別紙「離婚原因」記載の如き原告及びその家族の被告に対する仕打、待遇などが家庭をまずくする真の原因となつたのであり、被告は耐えかねてやむなく原告の許を去つたものと認められるから、被告をとがめることはできない。
次に原告は、被告が強引に家人をつれて所持品を持ち出したと主張し、所持品引取の事実は被告の認めるところである。そして、前記甲第一九号証の三の証言記載の一部、乙第七号証の二の供述記載によれば、昭和三三年四月二七日被告が家人や婚姻の媒酌人である訴外石川正夫、森川和明らと共に引取のため原告宅を訪れた際はじめ紛争の起きたことは認められないが、右供述記載前記乙第四号証の二、第五号証の二、三の各証言記載に前記甲第一九号証の二、第二二号証の二の証言、供述記載の各一部、成立に争なき甲第二三号証の二の供述記載の一部、成立に争なき乙第八号証の二の供述記載、成立に争なき甲第一三号証を綜合すれば、原告は右石川、森川らのあつせんで、一たん離婚を承諾し、荷物を引き渡すことになつたのに、間ぎわになつて慰藉料四〇万円持つて来ねば渡さぬといい出し、その後人々のあつせんで右の日に荷物を渡すことを約したのに、同日右の如く被告らの来訪を受けるや、事件がかたずくまで渡さぬ、家宅侵入だなどといつたがためいざこざが起きたが、約束違背の非を責められたあげく、引渡に応ずることになつて、運び出して渡したことが認められるし、また、右荷物の引渡にあたつて結婚詐欺などといつたのは決して被告ではなかつたことが認められ、前記甲第一九号証の二、三、第二二号証の二、第二三号証の二の証言供述記載中右認定とそごする部分は信用できず、他に原告のこの点の主張を肯認する証拠はない。
次に、原告は、被告が原告に対し離婚訴訟を提起し、離婚原因として別紙「離婚原因」のとおり主張したが、右「離婚原因」は事実無根であると主張し、右提訴、離婚原因の主張の事実は被告の認めるところであるから、右「離婚原因」の真否について検討するに、前記甲第一九号証の二、三、第二二号証の二の各証言、供述の記載の一部に、前記乙第四号証の二、第五号証の二、三、第六号証の二、第七号証の二の各証言、供述の記載及び前記甲第八号証を綜合すれば、右事実はすべてこれを肯認することができるのであつて、これに反する右甲第一九号証の二、三、第二二号証の二の各証言、供述記載部分及び前記甲第二一号証の二の証言記載は信用できず、他に右認定を覆し事実無根なることを証すべき資料は存しない。
以上、これを要するに原告が被告の不法行為として主張する事実はこれを認定することができないから、原告の請求はこの点でも理由がない。
よつて、原告の請求を棄却すべきものとし、民事訴訟法第八九条を適用して主文の如く判決する。
(本件は、反訴被告を原告とし、反訴原告を被告とする当庁昭和三三年(タ)第一六号離婚並びに慰藉料請求事件に対する反訴として提起されたが、両者は訴訟手続を異にするので分離して審判した。)
(裁判官 古原勇雄)
「離婚原因」
原告(本件反訴被告にあたる。)と被告(本件反訴原告にあたる。)との婚姻はこれを継続し得ない事由があること次のとおりである。
(1) 被告は、父亡加藤増三、母久仁子の二男で、両親及び未婚の妹一枝(当時三〇歳前後)と同居して、被告の肩書居宅において原告との生活に入り、立川市の米軍基地内P・Xの事務員として勤務していたのであるが、被告及び右家族らは、古い思想の持主で、婚姻による夫婦共同生活ということに全く理解がない。
(2) 被告は原告に対して後記のような言動をし、全く妻としての処遇をしなかつた。
原告は被告の母や妹一枝から後記のように皮肉、罵言、暴言をあび、耐えられず、一家の破滅が案ぜられたので、親、妹、自分ら夫婦のため一時的別居その他善後策を考える必要があると思つて被告に相談をもちかけたことしばしばであるが、とり合つてくれなかつた。
(3) 被告が婚姻ということを最初から軽視していたこと次の如くである。
被告は、土曜、日曜は原則として休であるのに、土曜日の午後二時から行われた結婚式の当日も、はじめ休まないといい張つて、原告らを失望させ、媒酌人らを困惑させた。また、新婚旅行など不経済だという被告やその家族の考から、しないと言明していたのを、媒酌人らに、新生活設計上有意義なことだからと説得されてようやく実行した次第である。しかも旅行から帰るや妹一枝は「旅行より洗濯機でも買つたらよかつた」と皮肉をいうのであつた。
(4) その結婚式披露宴も被告の方では、どこかで茶菓程度ですませようと希望していたのを、媒酌人の意見もあつて、相談の結果明治記念館で行つたところ、内容は同館の最低のきわめて質素なものであつたのに、被告の両親ら家族はそれが気に入らず、不満をあらわに原告に示した。
すなわち、挙式二日後の夜八時頃原告が新婚旅行から帰りはじめて婚家に入り、家族らと挨拶をかわして、夕食についたが姑と妹はそばにいて、姑は、「あんな所で式をしたのは親の見えだ。一枝を嫁にやるときはあんな所ではしない。」とか、すでに二、三日前に届けられたのに片付けられもせずにあつた原告の嫁入荷物を前に「こんな狭い家にこんなに荷物を持つて来て。」とか、「一枝を嫁にやるときは、三、四十万円は持たせなければ、」などと皮肉、いやみをいい、一枝また、明治記念会館の悪口とか、披露宴に出席した原告の姪の悪口などをその間にまじえ、どんなにか式場のことや新婚旅行のことに不満で旅行からの帰りを待ちかねたかのいい方に原告は当惑するのみであつたが、被告はその場にいてこれらの言葉をききながら、とりなすでもなく、後で原告を慰めるということもなかつた。
その数日後姑や妹が原告に小使銭を貯金しろというので、所持金中五〇〇〇円を姑にさし出したところ妹が「嫁に来るときは二、三万の小使は持つて来なくては、」と皮肉、不満をあらわにいい、原告は新婚早々暗い、不安な気持におそわれたが、しいて気持を振い起し、家人の気質を知り、家風になれて、円満な家庭を作るべく努力することを心に誓つた。
(5) その後も決意を固め努力を続けたが、姑や妹の右のような言動はつのる一方で、被告もまたこれを制止しようとせず、妻たる原告をのみ苦悩させた。
(6) 被告は結婚前に給料額は二万三〇〇〇円であるといつていただけで、結婚後被告も姑も被告の給料、手当等の収入額を原告に知らせず、被告はもらつた全部を母に渡し、母から若干の小使を与えられている有様であり、原告も結婚四ケ月目の六月のボーナスのとき一〇〇〇円、翌七月から給料のとき五〇〇円を母から与えられた程度で、家計への関与など全く許されず、主婦でありながら女中のような待遇であつた。
(7) 原告の日課は炊事、掃除、洗濯、靴磨、風呂、煙突掃除、裁縫、被告のやつていたソロバン塾の整頓準備等で大部分は女中的な力仕事で、電気器具を用いず、ワイシヤツまで自家洗濯する被告家においての原告の労務は相当苦しいものであつたが、原告は不満もいわずこれに従事していたのに、親思い、妹思いの被告はそれだけ原告には冷たく、妹の日々の靴磨やその肌着の洗濯まで原告に命じ、妻をねぎらうことをしない。姑や妹に気がねして直接には原告にあまり口をきかず、殆ど話をしないといつてよい。「自分は母に大きな声でいうからそれで聞け」といつたことがあるが、妻を無視したこの放言は、以てよく被告の考え、人となりの一端を示したものといえよう。原、被告の寝間は妹一枝らの寝室のとなりであるが、結婚後間もない頃一枝が両親の前で原告ら夫婦に「夕べはおそくまで電気がついて話声がきこえたが話があるのなら、こつちでして行けばよいのに」と不満をいつたことがあるが、以来被告は寝室では一そう話しかけなくなつたという有様である。
(8) 姑や妹の暴言はつのるばかりで、ついには原告を無智低能者として全く人格を無視するに至つた。夕食時など好んで他家の嫁をほめて、これにより原告をはずかしめるのであつた。しばしば原告の面前で「便所の方角が悪いから、よい嫁が来ない」などといい、その改造が計画されたこともある。姑はなにか気に入らぬことがあれば、原告に「親のしつけが悪いからだ、」とか「市川の家(原告実家)は金持だから」とやゆし、「頭の悪い者は大食だ」といや味をいつたこともあり、妹は「兄さんはこの頃すつかり変つた。みんなそういつている。家に帰つて来てもおもしろくない。兄さんがかわいそうだ」と兄が原告にひかれて悪くなつたかの如く嘆き、そういう妹を姑はまた、「一枝はかわいそうだ、今日まで家のため、親のため、兄のために嫁にも行かずに来たのだ。」とかばうのである。そしてまた家族間に争いごとでもあれば、心にもなく、「一枝がおるからだ、一枝出て行け。」と呼びかけて、ばかな嫁が出て行けばよいというあてつけをいうのを常とした。
(9) 結婚後二ケ月目の五月一八日頃には、妹は些細なもめごとから興奮して、嫁を出すについての親族会議を開けとわめき、被告もこれに和して離婚して実家に帰すといつたことがある。
(10) 以上の次第で、円満な共同生活ができないから、原告はとくに昭和三二年七月頃からは、しばしば被告に相談をかけたが、取り合つてくれず、原告に対する姑、妹の暴言を聞いて制止もしなかつたのに、「毎日見ていないからなんともいえぬ。」とか「親や妹と別居することは経済上できぬし、どこへ行くにも親はつれて行く。」といい切つて全くとりつくしまもなかつた。
当時父母共健康で、父は〇〇町の選挙管理委員長をしており、妹一枝は同町役場に勤務して月給一万円を受け、被告は前記勤務により結婚前の言によれば月給二万三〇〇〇円であり、ほかに自宅での小中学生に対する夜間教授で月約五、六千円の収入もあつたので、一時的別居その他家庭の円満のため適当な方法をとる余地もないではなく、被告は適当な時機に適当に相談して、家庭の不和を防ぎ得た筈なのに一考もしなかつた。
(11) ところが、同年一〇月二三日夕妹一枝が帰宅して食膳につき突然泣き出し、「今日はよつぽど線路にとびこんで死のうと思つた」といつているのを聞いて驚き、不審に思つていると大声で「今日よつぽど死のうと思つたが、伯母(〇〇町居住)が、あんたが死んだとて親が心配するだけで、嫁の心根はよくならんといつたから死ななかつた。」と叫んでいるのを聞きただ事でないと目さきまつ暗になり、そこまで思いつめられていたのではとうていこのまま留まることもできない、もしものことがあつたら、とあれこれ思案され、まんじりともせぬ一夜をあかした。
翌二四日夫の出勤後種々考えた末、すでに前記の如く夫たる被告には相談の望みもなくなつていることでもあり、同日午後になつて、被告の父母にことわつて実家に帰ろうと最後の決意をしたが、同日父母は親戚の結婚式に出かけるので、不吉な話は悪いと考え、そのまま送り出し、その上さらに考えたが、もうどうにもしようがないので、便箋に
「妹さんを殺して迄私も居られませんので家へ帰ります、元の平和な加藤家になられるよう祈つております。
家も廻すなり、お便所を直すなりなさらないと、昨日姑が言われるのには、「このままでは一枝が死んで了ひますよ、もつとも妹の一人位死んでも自分には子供が出来るからいいかもしれないけど」と智子さんの居る前で言つてましたから。親の言う事をお聞きになる方がよいですよ、御両親に申し上げ様と思ひましたがお祝ひの出先にこんな事申し上げて間違でもあるといけないと思ひまして、何とも申し上げず、るすの間に参ります、せめてもの私の親孝行の印です、〇〇のおばあさんの言はれる様に、何も一枝さんが死んだからつて、私の精神が直るものではありませんから、私の様なお百の娘がお家柄の加藤家に来たのが間違ひでした。
貴方の物はベビーだんすの上と下とに入れてあります、鏡台の物は左側の中の引出しに入れてあります。それと桐のタンスの上の物と、おし入の乱れ箱の中の物もこの家の物です。
お元気でお過し下さいます様に
さようなら
貢様
時間が無いのではし書で失札 晶子」
と書いて置き手紙をし、同日午後五時頃家を出て実家に帰つた。
(12) 実家では両親をはじめ、原告がやせ、衰弱し、生色のないのに驚き、心配し、その勧めで保健所で診察を受けたところ、体重は二貫も減つており、栄養不良と精神過労から来た衰弱であると診断された。
(13) 以上の如く被告をはじめその一家は、親子、兄弟間の盲目愛のみ徒らに強く、夫婦、妻の地位ということには全く理解がなく、しかも独善的、非妥協的、短慮で、姑、妹はなにかにつけて原告に罵言、暴言をあびせ、被告はこれに対し、制止、とりなしをしないのみか、妻たる原告をなぐさめ、いたわることもせず、姑、妹にくみする態度をとつてますますこれを助長せしめ、一枝をして、兄嫁を出すについての親族会議の開催を提唱するに至らしめ、さらには、追出策として心にもない自殺未遂をいうの奸策を弄するまでに増長させたのである。こうした中で妻として生活することはできることではなく、原告が被告のもとを去つたのは真にやむを得ない最後のみちで、力こそ用いないにしても、被告が姑、妹と共同して原告を追い出したものというべきである。被告にして、姑、妹をたしなめ、とりなし、あるいはそれができないなら一時的別居その他夫婦の生活を守ることをまじめに考え、努力したなら、少くとも原告を愛情を以てなぐさめ、はげましたならこの破局は救い得たであろうに、はじめから結婚を軽視し、妻の地位を理解しない被告には、望むべくもないことであつた。原、被告間の婚姻にはこれを継続し難い重大な事由があると共に、ことここに至つた責は被告のおうべきものである。
よつて、原告は被告に対し、民法第七七〇条第一項第五号に則り離婚を求める(原告は昭和三三年二月五日東京家庭裁判所八王子支部に離婚等請求の家事調停の申立をしたが、同年六月三〇日不調に帰した。)